星砂のシャドーライン

PART 2


「バスは西洋式だ。シャワーを出す時はレバーを上に、温度調整はダイヤルで、ボディーソープとシャンプーは棚にある。着替えとバスタオルを置いて行く。わかったか?」
冴木がバスルームの扉を開けて説明した。子どもが頷く。
「では、私は部屋で仕事をしている」
そう言って彼は扉を閉めた。

「すごい、きれい……」
白く一点の染みもないバスルームには、彼女がこれまで見たことのない獅子の飾りの付いた蛇口や美しい硝子の瓶に入ったパステルの色彩を帯びた液体が、棚の上に整然と並んでいた。

少女は衣服を脱いでバスタブに入ると、獅子の頭にそっと触れた。その感触は冷たかった。が、勇猛な獅子の顔は勇ましく、それでいてどこか愛くるしい表情を浮かべている。
「こんにちは」
知香は獅子に向かって言った。

バスタブにお湯はなかった。知香は蛇口の隣に乗っているチェーンの付いた蓋をはめた。シャワーヘッドは高い位置に掛かっていた。しかし、知香にとってそんなことはどうでもよかった。獅子の口から流れ出るお湯を想像してうれしくなった。早くその口に満ちるお湯を見たかった。蛇口の近くにレバーがあった。彼女はぐいとそれを押し上げた。ざっと勢いよく飛沫が上がった。
「熱い……!」
シャワーヘッドから降り注ぐお湯から湯気が立ち上った。その霧の向こうに浮かぶ影……。
「ごめんなさい……」
思わずそう言うと両腕で頭を庇った。

――誰が勝手に風呂に入っていいなんて言ったんだい?

頭の中の記憶……。その恐ろしい母の剣幕が彼女を縛った。流れ出るそれは熱湯に近く、飛び散る水滴に当たると熱さよりも痛みを強く感じた。

――熱いよ!  熱い……! やめて! 知香、お風呂に入りたかっただけなの。だから、お願い、ぶたないで……!
――馬鹿言ってんじゃないよ! 風呂沸かすんだって金が掛るんだからね! 稼ぎのない奴が入る資格なんかないんだよ。せいぜいその残り湯で風呂磨いておくんだよ!

「ママ……」
お湯の温度は四十五度を超えていた。肌がひりひりと赤みを帯びる。
「熱い……」
が、そこから逃げ出すこともできず、少女はじっとバスタブの中で蹲った。足元に溜まっていく湯も、シャワーヘッドから注ぐ湯も熱い。それでも少女はそこから動くことができなかった。

その頃、冴木は書斎でパソコンの画面を見つめていた。長い英文の報告書にはこの国のトップでさえ知ることのない事実が記されていた。世界で暗躍する闇の組織との繋がりが……。しかし、彼はそれらの事実を鬼石にも裏山にも伝えるつもりはなかった。

(今更、国や国民の未来を憂いても仕方のないことだ。人間一人にできることなどたかがしれている。時代は変わろうとしているのだ。その巨大な波に抗うことなどできない。ならば、どう立ちまわるか。どうしたら、この危機を最大のチャンスとして活かすことができるのか。個人にできることはそれくらいしかない。ならば、生き延びてみせるさ)

壁の向こうから微かにシャワーの音が漏れていた。
「使い方はわかったようだな」
冴木はそう呟くと再びモニターを見つめた。が、ふと思いついて席を立った。
「そういえば、知香は文字が読めないと言っていたな。ソープとシャンプーがどれか教えておくんだった」

彼はバスルームの扉をノックした。
「知香。ソープはどれかわかったか?」
しかし、返事は返って来なかった。
「返事をしなさい。知香」
何度も叩くが、同様だ。中からはシャワー音だけが続いている。
「聞こえないのか?」
子どもとはいえ、女だ。ドアを開くのは憚られた。が、そこから洩れて来る空気が異常に熱い気がした。窓も湯気ですっかり曇ってしまっている。

「知香」
冴木は思い切ってドアを開いた。むわっとした熱気が外に広がる。バスタブにはカーテンも引かれていない。そのバスタブの淵に手を掛けたまま降り掛るシャワーに背を向けて子どもはしゃがんでいた。
「知香!」
その温度は異常に熱かった。

「何をしてる! 早く止めろ!」
思わず怒鳴る。子どもは顔を上げて彼を見た。その目が怯えている。冴木はバスタブの奥にあるレバーに手を伸ばす。降り掛る湯は熱湯のように熱かった。冴木は構わずレバーを下げて湯を止め、チェーンを引いて排水し、子どもを抱いてバスタブの外へ出した。決して出られない高さではなかった。湯を止めようとすればできない筈もない。しかし、少女はそうしなかった。身体中に掛かった湯は彼女に苦痛をもたらした筈だ。
現に皮膚の至るところが赤くなっている。軽度の火傷をしたかもしれない。冴木はダイヤルを回し、湯から水に切り替えた。それから少女に触れようと手を伸ばした。

「ごめんなさい!」
床に頭をこすりつけて少女が言った。
「ごめんなさい。本当に……。みんな知香が悪いの。だから……」
冴木ははっとしてその手を引いた。

「怒ったんじゃない」
彼は穏やかに言った。
「知香……。おまえを怒った訳じゃないんだ」
「怒ってない?」
「ああ。おまえは何も悪くない」
「ほんとに?」
「本当だ。だが、あんな熱湯を浴びたんだ。すぐに水で冷やさなければならない。冷たい流水で冷やす必要があるんだ。いいね?」
子どもは頷いて大人しく抱かれてバスタブに入った。そして、冴木はシャワーヘッドを持つと水を出した。

「冷たいが我慢しろ。こんなに赤くなってしまっているからな」
そう言って彼は子どもの体に流水を掛けた。
「おじちゃんも濡れちゃう」
知香が言った。
「いいんだ。気にするな。おまえの方が大事だ」
「大事?」
「そうだ。おまえは誰かに心配されたことがないのか?」
「心配? おじちゃんは知香のことが心配だったの? だから、知香のことを大事にしてくれるの?」
「そうだ。子どもは弱い。だから大事にする。当たり前だろ」

――おまえのようなガキなんざ何の役にも立ちゃしない! 厄介者なんだよ
――そうだ。この邪魔者め!

両親はそう言って知香を邪魔者にした。

――おまえの方が大事だ

冴木の手も赤くなっていた。さっきシャワーを止めようとした時、熱湯が掛ったのだ。それでも、彼は知香を大事だと言ってくれた。そして、心配していると……。
「おじちゃん……」
知香の目から涙が流れた。
「冷たいか? だが、もう少しだけ我慢しろ。火傷の応急処置は冷やすのが一番なんだ」
「ううん。ちがう。冷たくなんかない。おじちゃんの手あったかいもん」
そんな筈はなかった。少女に添えられた彼の手にも水が掛かっていたからだ。
「知香……」

火照った皮膚は冷たくなった。冴木は風邪を引かせないようにと子どもの体を毛布で包み、ミルクを温めて飲ませた。
「痛くないか?」
「少しひりひりする……でも、平気」
「我慢することはない。痛かったらそう言いなさい。医者に来てもらうことにした。大丈夫だ。秘密は守る。だから、病院へは行かず、ここに来てもらうことにしたんだ。いいね?」
冴木が言った。
「うん。いいよ」
子どもが頷く。
「知香、おじちゃんの言うことなら信じる」


呼び鈴が鳴った。昼間、面会した浜岡という小児科医だ。
「こんな遅い時間に無理を言って申し訳ありません。ですが、ことは緊急を要しましたので……」
冴木が部屋に招き入れて言った。
「私でお役に立てるならば……」
と言って、医者は目の前にいる少女を見て驚いた。
「この子は……」
「河村知香です。昨夜保護したのですが、怪我や火傷の痕がありまして、治療の必要を感じました」
「わかりました。それじゃ、知香ちゃん、ちょっと見せてくれるかな?」
医者はやさしく知香に話し掛けた。最初は固い表情をしていた知香もその医者が味方だとわかるとだんだんその態度は和らいでいった。

「大丈夫。膝の怪我は擦り剥いただけだ。火傷も大したことはない。傷は消毒して絆創膏を貼っておこう。火傷は何日かひりひりするかもしれないが、すぐに治るよ。薬を塗っておいたからもう安心だ。ほらね、もう痛くないだろう?」
医者が言った。
「うん。もう痛くない」
知香も言って笑った。
「2年前に骨折してた上腕骨もちゃんとくっついてくれたようだね。よかった」
「うん。あの時はすごくいたかった。でも、もう平気」
そう言って子どもは腕を曲げたり伸ばしたりしてみせた。
「ほう、それはよかった」
「先生も? 知香のこと心配してくれた?」
「ああ」
医者が頷く。それを見て知香も頷き、冴木を見て笑った。

「今日は本当にありがとうございました」
冴木が医者を玄関まで送って行った。
「しかし、この件につきましては、口外無用に願います。少々デリケートな問題を含んでおりますので……」
そう言うと冴木は医者に謝礼を渡した。
「わかりました」
医者は快く承知してくれた。


真実、この件に関しては注意深く処理しなければならなかった。親から虐待され、愛情を知らぬまま育った薄幸な少女。いかにもマスコミが好みそうな話題だ。しかし、それではこの少女の将来は台無しだ。同情だけでは世の中を生き抜くことなどできない。一時的に世間の同情を煽ったとしても、所詮は犯罪者を親に持つ子どもだ。学校にも行かせてもらえず、学びを知らない。食事の作法でさえ、彼女は教わっていなかった。

しかも、あの親は子どもを虐待しただけではなく、知香の上の子ども二人を殺害した容疑もある。それは動かしようのない事実だ。たとえ、知香が努力をし、あとから埋めようとしても、一度貼られたレッテルはそう簡単には撤回できない。ましてや、彼女は女の子だ。将来、好きな人ができ、結婚話が浮上した時、必ず問題にされるだろう。血筋や病歴、犯罪歴など、血縁を遡って調べられる。

故に、彼は知香の履歴をクリアにし、新たな戸籍を手に入れようとしていた。それには少々時間が必要だ。そして、できれば、その間に知香自身も変わる必要がある。それ相応の教育を施し、身なりや行儀の作法を教え、帰国子女として、相応の家庭に送り込む。冴木ならばそれが可能だった。が、彼女のために取れる時間は少ない。冴木は最短で最も効率の良いやり方を選択するつもりだった。そのための選択肢は限られていた。その中に彼女が望むように、彼とずっとここで暮らすという選択肢は含まれていなかった。

すべての準備が整うまでの間だけここに置く。実際、彼は子どもと接触するのは苦手であり、面倒なことを引きうけるようなお人好しでもなかった。唯一彼が思うのは、最低限、関わってしまった者の責任として、彼女が無事に生活して行けるようになるまでの基盤を作ってやること。それは特に良心からでも正義感からでもなく、単なる社会的な義務、もしくは事務処理と同様に考えていた。自分は決して社会正義を振りかざすような善人ではないことを自覚していた。


「明日、リンダ コリンズというアメリカ人が来る」
「アメリカ?」
「そうだ。彼女がおまえの面倒を見てくれる。まずは美容院に行って髪を小奇麗にしてもらうんだ。それから、必要な物を調達して、彼女のところへ……」
「いやだ!」
突然、知香が叫んだ。
「いやだよ! 知香、リンダなんて人のところには行かない! ずっとここにいる! ずっとここにいてもいいって約束したじゃないか!」
「知香……」
また、あの頑なな目で子どもは男を睨んだ。

「ここにいるよりはずっといい。私は仕事で忙しい。おまえの面倒をみてやれる時間はない。だから、言うことをききなさい」
「いやだ!」
知香は拒絶した。
「私は子どもが嫌いだ」
冴木が言った。
「嫌い?」
少女は唖然とした顔で彼を見上げた。が、冴木の表情に変化はない。銀の細いフレームの向こうには冷めた目がじっと彼女を見つめている。
「そうだ。私は面倒なことは嫌いだ。厄介な騒動に巻き込まれることも望まない。生活のリズムを乱されるのはごめんだ」

少女はじっと俯いたきり黙っていた。
「わかったなら、ベッドに行きなさい。私はまだ仕事がある」
そう言うと冴木は踵を返して歩き出した。その背中に向かって知香が言った。
「乱したりしない」
ふと冴木の足が止まる。
「知香、おじちゃんのじゃまをしたりしない。絶対しないから……だから……」
涙声だった。しかし、冴木は振り向かずに言った。
「おやすみ」
書斎のドアが閉まっても、知香はずっとそこに佇んでいた。

「おじちゃん……」
ドアノブに手を掛けた。

――生活のリズムを乱されるのはごめんだ

「でも……」
彼女は震える手をそっと放した。時計の音だけが響いていた。

――面倒なことに巻き込まれたくないんだ

中から聞こえるのは彼が打つキーボードの音……。
「じゃましたりしない……。だから……」

――もう、おまえに暴力を振るう者はいない

「おじちゃん……」
冴木が彼女のために買ってくれた消毒薬は紙袋に入れられたまま、棚の上。そこは静かだった。昨日までの雑音はもう聞こえない。酔っ払いの怒鳴り声もけたたましい音楽も、皿の音や下品な女の笑い声も……ここでは何一つ聞こえては来なかった。鼻を突く悪臭もなく、塵も飛ばない。ここは世界が違うのだ。
「おやすみ…なさい……」
知香はそう呟くとベッドルームに向かった。ふかふかとして柔らかい絨毯は歩く度に心地良い感触がした。アロマランプの淡い光に照らされて、観葉植物の大きな葉の一枚まで輝いていた。少女は冴木が替えた真新しいシーツの中に潜り込んで顔を埋めた。

――私は子どもが嫌いだ

「……!」
知香はその中にすっぽり身体を入れて膝を抱えて泣いた。

(仕方がないんだ)
冴木は心の中で呟いた。
(子どもをここに置いてやる道理はないし、あの子にとってそれは得策でもない。知香にとって最も良い選択はここにいることではなく、ここを出てまっとうな教育を受けることだ。今なら取り返すことができる。だから、私はあの子にとって最良の道を用意してやる。それが私の愛情表現だ)
彼は割り切っていた。


深夜近くになって、ようやく仕事を終えると冴木はシャワーを浴びた。シャワーヘッドの掛かっている位置は高く、子どもの手には届かなかったろう。が、そんな心配をするほど長く、あの子をここに置いてやるつもりはない。冴木は少し熱めに設定した湯を頭から浴びた。赤みを帯びた手の甲が染みる。
「……!」
痛みを感じた。手の甲だけでもそうなのだ。少女の痛みはどれほど深かったろう。医者はすぐに良くなると言った。だが、本当に問題なのはそのことではない。

――ずっとここにいてもいいって言ったじゃないか!

「わかっている」
しかし、それを叶えてやることはできなかった。


闇の中で扉が開いた。ロックが掛かっていた玄関も厳重なチェーンも役に立たなかった。男はキッチンへ行くと冷蔵庫にあった500mlの牛乳パックを一気飲みすると手の甲で唇を拭い、ベッドルームへむかった。寝室はハーブの香りに満ちていた。サイズの大きなベッドの中ほどにまるい小さな膨らみがあった。が、男は気にせず、そのベッドの中に潜り込んだ。
「きゃあ!」
驚いた子どもが悲鳴を上げた。

「何だ? どうした!」
浴室からバスローブを羽織った冴木が飛び出して来た。丁度寝室から出て来た知香と鉢合わせした。
「おじちゃん! 熊だ! 熊が出た! 怖いよ」
知香がしがみついて来た。その全身がガタガタと震えている。
「熊だって? 一体何が……」
彼は洗面台の上に置いた眼鏡を取ろうとしたが、知香が放してくれない。それでは2メートル先も見えない。彼は焦った。
「知香、いい子だからちょっと離れて……。眼鏡を……」
しかし、彼がそこへ辿り着く前に寝室から出て来た男が言った。

「ヘイ! 水もしたたるいい男さん」
大柄な男だった。しかもその言いまわしには独特な英語なまりがある。冴木はその男のことを知っていた。
「ロバート」
「ははは。元気だったか? マイ フレンド!」
「そういう言い方はよしてください。誤解を招きます」
ようやくしがみつく手を緩めてくれた知香を脇にやって眼鏡を掛けた冴木が言った。
「誤解も何も……。おれは驚いてる。まさかおまえにこんな趣味があろうとは……」
ロバートがにやにやと知香を見て言う。

「どういう意味ですか?」
冴木が訊いた。
「カワイイ! だよ。やっぱ、おまえも日本人なんだなと思ってさ」
「どういう解釈をしたんです?」
「そりゃ、おまえ、日本人ってのはヘンタイが盛んだっていうじゃないか。真面目そうに見えてもおまえも立派な日本男児だったんだなと思ってさ」
「鹿児島の人間が聞いたら怒りますよ。使い方が違う。しかも、私はヘンタイではありません。少なくとも、あなたのようなロリータ趣味は持ち合わせていませんからね」
「何を言う? おれは純粋にカワイイ! 女の子が好きなだけさ。言うなればプラトニックラブ。さあ、おいでお嬢ちゃん。おれにもカワイイ! をもっと抱かせておくれよ」
男が子どもに近づいた。
細身の冴木に比べると縦にも横にも身体の大きなロバートは、どこからどう見ても巨大な熊に見えた。髪も髭ももじゃもじゃの焦げ茶で奥まった目はブルー。ちょっと見には豪傑で野性的な雰囲気をしている。

「おじちゃん……」
知香が怯えた。
「大丈夫。この人は熊じゃない。れっきとした人間だ。それに、見た目ほど悪い人ではありません」
冴木が言った。
「おい、何だよ、その言い方」
ロバートが責め寄る。子どもはますます怯えて冴木の後ろに隠れようとした。
「彼はロバート グラス。さっき話したリンダの知り合いだ」
冴木が言った。

「怖くない?」
知香が訊いた。
「怖くなんかないよ、お嬢ちゃん」
ロバートが笑う。
「痛いことしない?」
その質問にロバートが顔を顰めて冴木を睨む。
「良、やっぱりおまえ、このカワイイ! 女の子にヘンタイ行為をやってしまったりしたのか? 場合によっちゃおまえでもぶちのめすぞ」
指を鳴らして男が言った。
「やめてください。私は暴力は苦手です。それに、私はアブノーマルな趣味はありません」

「本当だろうな?」
ロバートが詰め寄る。と、いきなりそんなロバートを小さな手が押した。
「駄目ぇ! 怒らないで! おじちゃんは悪くないよ! おじちゃんは……」
知香が冴木を庇って言った。
「怒ってなどいないよ。もちろんさ。もし、こいつが君に酷いことしていたら許せないと思っただけなんだ」
ロバートが言った。
「しないよ! おじちゃんはそんなことしない!」
きつい目で見上げて知香が言った。
「おじちゃんはいい人だ。おじちゃんは知香のこと助けてくれた。ハンバーガーもくれた。だから……」
知香が言った。

「ハンバーガーが好きか?」
ロバートが訊いた。
「うん」
知香が頷く。
「ようし! それなら食べに行こう!」
そう言うとロバートは知香をひょいと抱き上げた。子どもは驚いた顔でその顔を見つめた。が、近くで見ると男の目はやさしく笑っていた。その男が頬刷りして来る。
「あん。やめて。髭がくすぐったいよ」
長く伸びたそれを引っ張って知香が言った。

「おまえも来いよ、良」
ロバートが誘う。
「こんな夜中にハンバーガーですか? 悪い癖がついたらどうするんです?」
「腹が減っては戦はできないっていうだろ?」
けろりとした顔でロバートが言う。
「戦……ですか。でも、こんな時間にロバートが私のところに来るということは、いよいよ始まったということですか?」
冴木が訊いた。
「まあな。だが、お嬢ちゃんとハンバーガーを食べる時間くらいはあるさ。それに、おまえが服を着る時間くらいは十分にな」
「わかりました。では、お話はその先で聞きましょう」